(出典: okicha)
誰もがそうであるように、ぼくもまた、どこにも結びついてはいないし、同時にどうしようもなくきみに縛りつけられている。真実は、たぶん、ただそれだけだ。
いま、喫茶店にいる。近くの席にはきたならしい声で何かを話している誰々さんたち。きたならしいというのは、声の質のことではない。その存在の在り方だ。
ぼくはもう、自分にとって醜いものに容赦をするのをやめることにした。
日本刀を作っている方のところへ行って
包丁を見せていただいたことがある。
その場で試し斬り切りをさせていただいたけど
それはもう切れること切れること。
お値段を見ると
一番お手頃なのでも4万円ぐらいだったと思う。
桁が一つ上のものもざらだった。
そこの大将が言うには
「道具はいいのを買いなさい。
4万の包丁、10年使えば1日10円ぐらいでしょ。」
とのこと。確かに。
まあ切れ味を維持しようと思ったら
ちゃんとメンテナンスする必要があるけど、
ともかく長く付き合えば付き合うほど
値段の差は小さくなっていく。
その間ずっと気持ちよく料理ができるのだから
決して高い買い物ではない、と。
ただこれは
何でもかんでも高級品を買えばいいという話ではなくて
お金をかける価値があるものとそうでないものを見極めなさい、
ということだろう。
包丁はよく切れるものを使うかどうかで
できあがる料理にも差が出る。
研ぎ続けて刃がなくればさすがに使えなくなるが
基本的にはお手入れさえ怠らなければ
時間が経ったからといってその価値が失せるものではない。
たとえばカメラについていえば
レンズがそれにあたるかもしれない。
まあ買ったけど年に数回しか使わないという場合は
話が変わってくるが。
ともかく、そういうものには
お金をかけても結局は回収できるから、
というのが大将の助言だった。
おっしゃるとおりだと思う。
ポイントになるのは
* 消耗品ではない。
* 頻繁に使うものである。
* 実用性に明らかな違いがある。
* 流行り廃りに左右されない。
というあたりかな。
モノを買うときに意識してみたいところ。
100円ショップで食器買ってる場合じゃないですかもしかして。
「道具はいいのを買いなさい」という助言が意味すること - 頭ん中 (via reservoir) (via xlheads) (via tiga) (via kml) (via jacony)
切れる包丁は料理の楽しさも変えるから、強くお勧め。
(via yoosee)
2009-04-07
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2009-11-23
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(via ingurimonguri) (via it-shine-reading) (via usaginobike) (via sbbm)最近、Instagramをよく使っている。オフ会に行ったときに写真をアップすることが多い。Instagramは画質を低下させるというか情報を少なくすることでソーシャル性を高めることに成功しているように感じる。これはプリクラに似ていると思った。
僕は高校の頃、Eggを熟読するようなギャル男だった。当然、コギャル達とプリクラを撮りまくっていた。プリクラは当時、画質が低いからブスが綺麗に写るというようなことを言われていた。しかし今思うと、画質が低く、ぼやけているからプリクラの交換等がうまく行われたのではないか。
写真が虚構的になるからこそ、現実を直視せずにコミュニケーションが円滑になるのではないか。と思いました。
Instagramとプリクラ - eigokunの手記 - - - (via yaruo)
2010-12-14
(via gkojax-text)